『人類の開発した最も恐るべき兵器』

―戦争と平和を意識して−

牧師  林  宣雄

 「戦争を学ぶ」ミュージアム/メモリアル(記憶と表現研究会著―岩波ジュニア新書)の序文に高橋哲哉氏が「単なる知識を超えるもの」という文章を載せている。その中で、清沢(きよさわ)(きよし)氏(18901945)の『暗黒日記』を引用する。1945年1月1日の記述です。少しだけ紹介します。「日本国民は今、初めて『戦争』を経験している」1945年は日本が戦争に敗北した年です。1944年の11月に東京がアメリカ軍のB−29によって空襲になった。それ以降、日本本土の各都市では空から雨あられと降ってきた(しょう)()(だん)によって家々を焼かれ逃げまどい、命を落とした。ヒロシマ・ナガサキの原爆災害やオキナワの地における民間人の戦争犠牲によって、日本本土が初めて「戦場」と化すに至って、日本国民は戦争の実態を知った。日中全面戦争の戦場は中国・朝鮮・東南アジア・太平洋諸島であった。戦場の実態を知らない日本国民は、日本軍の戦火に他国の人々が逃げまどっている間、戦争を知らずに気楽に戦争が語られ、協力してきたのだ。

 今、戦争そのものの定義や意味も時代とともに大きく変化してきた。自衛のための戦争か、制裁のための戦争という様式がアフガニスタンやイラクとの戦争に適用された。さらに複雑な状況はテロ行為を戦争と意味づける論もなされている。「原爆災害」という資料によると、熱線、爆風、放射線を複合的に包含する核兵器が小型化し、強烈な破壊力をもつに至っている。人類がかつて経験したことがない被爆体験は核兵器の開発を廃絶による世界恒久平和へと達成されなければならない。

 日本国憲法の第九条は、その意味でも大きな力となりうる条文である。1947年8月6日被爆二周年における広島市の第一回「平和宣言」で「原子力をもって争う世界戦争は人類の破滅と文明の終末を意味する」と語る。

              〔2005年8月7日〕