「旧約聖書の思想」−その12−
      歴史と審判1−歴史書についてA−

林 宣雄牧師

 サムエル記には、サムエル・サウル・ダビデの三人が登場します。サムエルには預言者の原型が見られ、そのあとにナタンを頂点とする預言者の出現があります。三人とも神に選ばれて、歴史の(てん)(かん)()に活動した。共通の大きな課題は王国の建設でありました。

 それはペリシテ人の組織的な攻撃に立ち向かうためという、時代の要請によったものでした。初代のサウル王の悲劇は、神の指示に従いきれなかったところにあります。それに反しダビデは、サウルに追われて逃亡中、(ふく)(しゅう)の機会があってもそれをしなかった。ダビデが王位にのぼったあと、彼に対する信仰批判はきびしく預言者から糾明と攻撃が行なわれます。預言者ナタンの警告に対し謙虚に罪を悔いたダビデです。イスラエル最大の王の個人的不行跡から家庭内のトラブルに及びその泣きぬれた姿まで(じょ)(じゅつ)する聖書記者はまことに、今日の新聞記者のようです。

 こういう視点は当然、列王紀にも見られます。列王紀とは文字どおり各王についての記録であり、いろいろの信仰の態度を批判するのです。

各王の内政・外交の業績よりも、ほとんどそのことに集中しています。有名なソロモン王も例外ではありません。王国分裂後相ついで滅びます。神の警告を無視した民の審きも記述されます。 

〔2007年7月29日〕