証詞

             初めに言(ことば)があった           
                
                  新約聖書 ヨハネによる福音書第1章1節

                 

木津キリスト教会員

駒田秀也

 

 私は生まれる時、へその緒が首に巻きつき仮死状態で誕生し、手足それに言語に障害を負いました。

 その後成長とともに、この時の痛手は私の生活を不自由なものにしていきました。44歳になった今でさえ道路に転倒し、顔にかすり傷を負う始末であります。

 私が高校卒業直後、教会に行っていた学友に『礼拝に出席してみない?』と声をかけられ、その誘いに対して迷いがありながらも、教会に行く事が出来きました。

イエス様は、このように迷いの多い私をしっかりと捉えて導いて下さり、今日まで信仰の生活を続けてきたのです。

 今もなお、教会の奉仕が出来るのは、林宣雄牧師の『神様、あの青年をイエス様に近づけて下さい。御心にとめて下さい。』という祈りが、ささえになっていると思います。

 林牧師の祈りは私にとって、イエス様への出会いの一歩であり、自ら聖書を手に取り、教会に行き牧師のお話を聞く事によって、神イエス様の癒しの愛の大きさ、それにより感謝の祈りを捧げる大切さを知りました。

聖書を読み祈りをささげる事は、人が普段している呼吸と同じであると思いました。即ち、聖書から神の意志を知り、祈りによって自分の思いを神に問うのであります。

今改めて『初めに言(ことば)があった。』というヨハネによる福音書最初の御言葉にふれ、聖書はこの語から始まり、イエス様の存在、その物だとそして私も大きくその中に包み込まれているのだと、強く思えるようになったのです。