「オキナワ」と平和について

 

林 宣雄牧師

 

 1945年1月19日の「(てい)(こく)陸海軍作戦大綱」に沖縄戦の最終方針が示されました。

 当時、すでに制空・制海権をアメリカ軍に握られていた。5月下旬には(この)()(ふみ)麿(まろ)をソ連へ送り沖縄・小笠原の分離とひきかえに国体護持(天皇制維持)を保証してくれるよう交渉していた。長野県の(まつ)(しろ)へ天皇と大本営を移すため、巨大な地下(じん)()(ごう)の建設を急いですすめていました。現在は、その地下陣地壕は東大の地震研究所になっています。同盟社会委員会のメンバーとつぶさに、そのあとを見学したことがあります。まさに沖縄戦は国体護持のための時間かせぎの捨て石作戦だったといわれています。また、各野戦病院では“処置”のもとにケガや病気をして入院していた兵隊たちが軍の機密がもれることを恐れて日本軍に殺害されていったのです。

 沖縄県民は本土防衛の(たて)となって祖国防衛のため尊い命を投げ出してくれた、ということを主張する政治家がおります。はたしてそうでしょうか。「集団自決」は美しいことなのであったのでしょうか。当時の皇民化教育が生きるという選択を許さなかったのです。

 ()()()の丘に立ち砲弾の雨の中で多くの人々が死んでいったのです。沖縄の人々は「(ぬち)どう(たから)」といいます。命こそ宝という意味です。

               〔2006年7月30日〕