「戦争の罪責を担って」−その1−

 

林 宣雄牧師

 

 この標題は、1923年生れの戦争の中を生きてきた渡辺信夫牧師の著書(新教出版社)から引用した。渡辺氏は、その著書で三項目にわけて書いている。(1)8・15とは何であるか(2)学徒出陣の負債(3)現代日本を見るキリスト者の視点である。(1)と(2)を二回にわけて要約紹介し、私見をも少し述べたい。

 −その1−では、8・15とは何であるか。

 渡辺氏は、毎年8月15日を特別な感慨をもって迎えると語る。私も、ラジオからかすかに聞こえてくる天皇の声を憶えている。正午に放送が「全面降伏」の声明であった。

 戦争とは、武力行使による敵の制圧を目的として軍隊を組織された存在であるから目的のためという各目であらゆる矛盾と虚偽が是認されてしまう。戦争そのものが(むな)しいものであるから、その体験も虚しい。ところが戦争を実際に体験した方が、それを意味のあるものとして語る。戦争をとおして生と死のはざまに立たされた故に美化しがちである。実際は、そのような極限状況では全ての人間が(みにく)い面があるにもかかわらず隠し語らない。祖国を守るための行為という説明は人を納得させているようで、それは幻想に過ぎない。

 国の責任によって殺された人の死を国がどうして価値付けをするのか。戦後の繁栄が犠牲(戦死)によってもたらされたという思想は虚構であり()(まん)として旁出されたものである。


              〔2006年8月13日〕