「現在する過去」と「過去する現在」

―その2―

林 宣雄牧師


 メキシコのオトミ族について<野生の思考>の中でレヴィ・ストロースは「チューリンガ」について紹介している。チューリンガとは石か木で作られた物体で、形はほぼ楕円形をしており、両端は尖っていることも丸味を帯びていることもある。そしてその上に象徴記号が彫り込まれている。そのチューリンガはそれぞれきまったある一人の先祖の肉体を表す。そして代々、その先祖の生れ変わりと考えられる生者に厳かに授けられるのである。チューリンガは、人のよく通る道から遠い自然の岩陰に積んで隠しておく。定期的にそれを取り出して調べ、手で触ってみる。またそのたびごとに磨き、油をひき、色を塗る。それとともにチューリンガに祈り、呪文を唱えることを忘れない。このチューリンガをとおして人は、祖先から自我、そして子孫へと再現する同じ人間としての、個我をこえたアイデンティティを所有する。この地域の原住民の中に生まれ育ったストーロウは次のように言っている。山や小川や泉や沼は、先祖の誰かが作り出したものである。その土地全体が彼にとっては、昔からあって今も生きている一つの家系図のようなものである。

 近代の時間論がしばしば時間の観念として<直線としての時間>にたいする<円環としての時間>という考え方は、「時間は連続的に動いてゆくはずだ」という前提である。原的な時間の感覚は「振動する時間」である。

               〔2006年9月17日〕