『歴史への問い』 

林 宣雄牧師 

 前回は二回にわたり、古代人の時間感覚について紹介した。時間認識を日本人がもつにいたるのは西洋から文明が入ってきてからであろう。「歴史と終末」(山本 (かのう)著)という優れた著書がある。(社会思想社刊)その中から数回にわけて紹介したい。

 歴史成立の素因として、次の三つがある。それは、記憶としての歴史と物語および記録としての歴史と出来事としての歴史である。人類が地上に(せい)(そく)し始めてから約60万年から百万年が経過したといわれる。人類は太古から自分の生の体験や苦悩、喜びや悲しみをよく記憶して、これを子孫に伝えようとする意欲や努力してきた。記憶によって過去をその時々の「今に」現在化させる能力がある。

 人類は、その記憶するところのものを言葉で語りつづけ、文字に記して書き留めた。それは失せ去った記憶の言葉による再演法と保存術であった。神話物語が口碑や伝説をうみ民間に伝わる民俗説話、(ぐう)()、童話、お()()にもなる。これらの考古学、民族学上、重要な諸概念―神話、口碑、伝説、逸話、童話などを総称して「物語としての歴史」という。

 歴史という概念で科学的概念と歴史像とは絶対に誤りないものとはいえない。人生の(なぞ)や時の謎に見開かれた眼=歴史の意味の次元を知りこと=それなしには歴史が成り立たないとうものである。
 

〔2006年9月24日〕