『歴史の対象は生きた人間』

 

林 宣雄牧師

 

 通常、歴史は過去の人間の在り方や生き方に関わり、歴史学は過去の時代や人物、その生活形態や文化様式を観察し、()(くら)べ、確定し、見通す学問だとされている。過去と現在との間には、大きな()け目があって何ものを埋めることはできない。<歴史は繰り返す>と言われるが、はたして同一の出来事が反復再起するのであろうか。たまたまアナロジー(類比)が成り立ちうるだけで、同一性はないのである。人間が生きるとは、時の間を生きるということである。いつも今もこの躍進運動の(ただ)中に立っているということである。

 唯一の例外=人が神の時の前に立つ瞬間=を除いて、歴史においては同一のものを見ることはない。歴史的出来事は観察や批判、実験などの実証的方法だけで確定したり見通したりすることはできない。史実、史料を発掘蒐集、配列、解釈することと歴史を認識することとは別なことである。歴史の対象は生きた人間である。過去のあれこれの時代の人間もまたそれぞれの現在において生きていたということである。人間が生きているから同じように生きていた人間を理解しうる。人間はひとりで生きているのではなくて、他との出会いにおいて生きている。人間は出会って見る。語り、応答をもつ。歴史認識とは、生きた過去と生きた現在との、過去において生きている人間と現在に生きている人間との応答的な対話である。

〔2006年10月1日〕