今日、生きている歴史観」−その1−

 

林 宣雄牧師

 

(1)東洋的仏教的宿命史観

 東洋人は、古来西洋思想一般に共通の合理的思惟とは異様に対立する。深い<空><無>の思想によって(つちか)われてきた。インドに出現した釈迦が法を悟って仏陀となった。存在根拠としてのダルマ(法)の本来の意味が長い間に特異な文化類型や生活様式となって展開されたのである。歴史解釈の問題として深い関連のあるのは<縁起>の教説であろう。

 この縁起は時間的には無常を意味し、空間的には相衣相関ということである。この無常相衣ということから無我ということがいわれる。
すなわち独立不動な固定的な実体(我)(アートコン)が無と言うことである。ヒンドラ教、ジャイナ教、仏教などによれば、時は始めもなく終わりもない。時の中の人間の営み<宿(さだ)()>である。この宿命に耐え、事物の無常・相関を直観することを学ばねばならない。この直観が何物にもこだわらぬ(ゆう)(ずう)()()の境地をうむ。そして<諸業無常>と言われるものは<法>の悟達の道であり、その底には深い無常観が漂っており、時の()()性が予覚されている。無常・無我の直観こそダルマの悟りなのである。一切は無である。その無はさらに根源無としてのあらゆる生滅、有無、産実、存否を成り立たせる成立原理とする。そこには創造者の存在は肯定されず、天地の創造や披造物の存在にも意味ない。歴史観はない。

〔2006年10月22日〕