「今日、生きている歴史観」−その3−

 

林 宣雄牧師

 

(3)ヘブライ的聖書的救済史観

 以上二つの運命史観にたいしてまったく異様に対立し、対照的なものがヘブライズムの力動的歴史観である。この史観は宿命(さだめ)ではなく自由―神および人間の自由ーそして両者の協働が一歴史を動かし創り出すと考える。

ここでは創造者なる神によって定められた歴史の始まりと終末が見通され、その中心と意味がはっきりと見えており、そこから落ちてくる光によって全体とここの歴史の線と方向が把握されている。ヘブライ人はもと砂漠的な人間であった。自然の脅威にたいする闘争は日本の国土のような自然の恩恵はほとんどないといってよい。人間に襲いかかる自然との闘争なしに史観は生じなかったであろう。

 自然から神の怒りと脅かしを聞いた。ヘブライ人の神は神秘的に瞑想して観照されうる神ではない。人間が神の名を口に称えることさえしてはならない。見えざる、隠れたる神であり、いかなる像も刻まれてはならぬ神である。歴史にたいして動的に行動する神、この神によって世界・被造物の歴史が包括され統御され支配されているとヘブライ人は考えた。神に服従するか、しないか。神を信ずるか、しないかの問いを究極的に問われている。歴史の中に、時々、預言者をとおして語りかける神の言を聴き、その命令に従う。歴史の中に神が来る。その民と契約を結ばれた。

 

〔2006年11月5日〕