『自然と歴史』


林 宣雄牧師

 日本人の自然と歴史

 「歴史と終末」(山本(かのう)著/社会思想社)の第一章 歴史への問い、第二章 歴史の眼の要約を私なりに解説してきた。山本和氏は第三章自然と歴史(特に、日本人の自然と歴史)を紹介するにあたり、山本氏は歴史が自然以上のものであり、自然は歴史を条件づけることはできても、決定することはできないと論じる。この論点については同感なのですが、日本人の(けい)()(じょう)にかかわる()()をもう少し詳細に、且つ親切に扱う必要がある。

 「自然」を「おのずから」と読みを付ける重要性を指摘したい。自然という言葉の内容に幅があり考察されるべきである。今日、私たちが自然と呼ぶものは天地・万有・万物・森羅万象・造化等々の言葉で捉えられていた。

 自然観・自然環境・自然科学等の自然の用法が定着したのは明治30年代からのことです。

 自然を「おのずから」としたのは「己つから」であり、「から」は「生れつきの意」である。おのずからは、もともとある主語的な存在があり、その様態、その動きについて、それが他の力によってなることを意味するものである。

 例えば「天地の自然(おのずから)の妙用」などという用法がある。「自然」が天地自体を意味することになったという出来事である。

 

〔2006年11月19日〕