『日本人の自然と歴史(続)』

 

林 宣雄牧師

 

 自然という捉え方の中に、伝統的な自然観が流れこみ、それは主観―客観の対立における客体的存在ではなく、同時に「生ける自然」「大いなる自然」という仕方において捉えうるものであったのである。明治30年代以降における自然は、一面においてnatureの(ほん)訳語であろうとし、他面においては、なお伝統的な自然観を継承するものであった。

 丸山真男氏の歴史意義の「古層」は、この自然(おのずから)を理解するための多くの手がかりを与える。丸山氏は世界の諸神話の宇宙の創成論という見地から、キリスト教的な「つくる」論理に対照的なものとして日本の「なる」論理を説く。日本人にとってこの世界は創造神によってつくられたる在る世界ではなく、内在するムスビの霊力によって不断に成りゆく世界であり、日本人は歴史を「つぎつぎになりゆくいきおい」とうけとる。

 「つぎつぎになりゆくいきおい」はまた「おのずからなりゆくいきおい」である。日本人の歴史意義は「おのずから」に(しゅう)(れん)される。

 おのずからは、いわゆる自然観のみでなく歴史意識においても日本人の考え方を貫いて流れてきたものであった。このようにおのずからを尊重しながらも、神々や仏たちが(すう)(はい)の対象とされたのはなぜか。一方、多神教的な習合的な日本人の宗教思想の性格をどう理解すべきか「善の研究」(西田幾多郎氏)を学ぶ必要があろう。

 

〔2006年11月26日〕