『史観としての歴史と終末』

 

林 宣雄牧師

 

 近代の人間中心的世界像は第二次世界大戦や朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、アフガニスタン、イラクにおける湾海戦争まで、非理性的魔力性を人間社会にもちこんだ。近代世界の誕生・成長・()(せつ)(すい)(たい)・死滅の全過程をふりかえってみると歴史進歩の確信は根底から問い直さなければならない。人間が自由に自己を形成しうると(さっ)(かく)した。人間は神を見失い自己を神とした。ヘレニズム・ルネサンスに系譜する近代思想に代って、ヘブライズムの預言者宗教の歴史への眼差しが注目されるようになる。

 預言者が語る、神の審判と警告、約束の成就の言葉を知ることであろう。この終末論的なそして実践的な立場は「キリスト教的リアリズム」と呼ばれる。人間は自己自身の主ではないし、自ら意識するほど善良なものでもない。神と人間の関わりで、福音が語られ、それを新しく聞くことである。さらに聞いた者が政治や文化の領域に応用して、それの対応や()()となるような新しい決断と行動をおこすべきであろう。普通、人間が生きているとは<時>の中を生きることである。一つの現在から他の現在へ、一つの決断から他の決断へと生きるということである。近代歴史主義に付着している歴史的相対主義の克服は終末からの見通しを回復し、歴史の始めと終わり、根源と目標、中心と意味を捕捉することにより可能なのである。

〔2007年1月28日〕