『終末史観の射程』

 

林 宣雄牧師

 

 キリスト教で終末論というのは世の終わりのことではない。ヘブライズム・キリスト教は最初から最後まで、神の創造から救いの成就まで、あらゆる教説、歴史と生活とにわたり終末論的である。神の人間への出会いの歴史と、それに基づく人間と人間との出会いの歴史を問題にしている。救いの啓示への信仰の服従、罪の赦しと罪人の悔い改め、ただ信仰にのみよる義認に集中したことになる。世界史と人生史の、古い時代から新しい人間への、過去から未来への、滅びから救いへの大きな転換と革新が問題なのである。ルネッサンス人は理性の向上、社会の発展、歴史と文化の進歩を信じた。彼らは思惟の百八十度の転回を必要としなかった。また歴史の終末と終末論的歴史、したがって現実的な歴史的時間について関知しなかった。歴史における意味の次元は、時の秘義でもある。この歴史論には時間論を考案しなければならない。時とは何か、アウグスティヌスは時を意識した。その告白で、時は秘義なのだ。永遠とは、時をこえた彼岸ではなく、時の間にはいりこんできたリアルな時・現実的時間のことである。人間は時の間に生きている。したがって人生史の終末に時が喪失する。過去・現在・未来の時を歴史の根源、目標としての意味をもつのがイエス・キリストの時である。

〔2007年2月4日〕