『キリストと時』

 

林 宣雄牧師

 

 今回は、オスカー・クルマンの名著「キリストと時」を紹介します。彼は序論で問題の所在と題して原始キリスト教の時間及び歴史の把握について論を展開する。キリスト紀元は、ある起点からではなくて、一つの中心から出発するのである。その中心とはナザレのイエス・キリストの生誕という事実である。「時」をキリストの生誕を中心として、同時に前方及び後方に数えてゆく仕方である。

 クルマンは新約聖書の歴史観を過去から()(らい)に続く神の救済史の線として描き、その中心にイエス・キリストの来臨を置く。現在はその来臨と未来の再臨との間にある。従ってヘレニズムの時、ヘブライズムの時とを対立概念として考えないで、現在、過去、未来が神の(けい)(りん)(神の国を治めること)の中にあるとする。永遠とは無時間でなく、無限の時であり創造に先立って存在する。世の終りもこの意味で時間的なもの、即ち歴史の継続であり無限の時間が最後の段階に達する時を指す。

 聖書は神の救済史において「ただ一度」おこった出来事(時)としてキリストの時があることを啓示する。救済史と一般世界史との関係を第三部で取りあげ、第四部では個人としてのキリスト者の「選び」を救済史的に語る。50年前にこの本と出合い「時」という言葉を意識するようになった。今も、その意識が続けられている。

〔2007年2月11日〕