「旧約聖書の思想」−その5−
罪と罰について

 

林 宣雄牧師

 

 「罪と罰」は、ドストイエフスキーの有名な小説の題としてよく知られている。イギリスの詩人ミルトンは、「失楽園」を創世記から書きました。人間は楽園から追放されてしまう神の罰のきびしさを読みとることができる。

 (へび)が女を誘惑し、次に男も誘惑されて(きん)(だん)の木の実を食べてしまったというものです。

罪が外から入ってきたもので、人間の性質そのものの中に罪があるのではない。人間が被造物として弱さと低くさとをもっていても、それだから悪いのではありません。

 アダムが身を(かく)したのは、すでに罪の自覚があったからです。神がはっきりと問題を指摘したのに対し「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が」と責任を他者におしつけるようとします。この苦しまぎれの言いかたは人間の弱さから出た言葉です。

 神は、女には産みの苦しみ、男には労働の苦しみが予告され、さらにエデンの園からの追放となったのです。被造物としての人間は神の命に従い神に仕える者でなければならなかったからです。神を離れた知恵は、結局は混乱と()(めつ)をもたらすのみです。人間は結局神を責め、神にたてつくようになった。

〔2007年6月3日〕

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